フィリピンの紙幣 (Philippine note)
1962年 5 PESOS
1949年〜1970年に発行
表 「CENTRAL BANK OF THE PHILIPPINES」「THIS NOTE IS A LIABILITY OF THE
CENTRAL BANK AND IS FULLY GUARANTEED BY THE GOVERNMENT OF THE REPUBLIC
OF THE PHILIPPINES」「FIVE PESOS」「THIS NOTE IS LEGAL TENDER IN THE PHILIPPINES
FOR ALL DEBTS, PUBLIC AND PRIVATE.」(左) マルセロ・デル・ピラール(Marcelo H. del pilar)(右) グラシアーノ・ロペス・ハエナ(Graciano lopez jaena)
裏 ラ・ソリダリダッド(La Solidaridad)
マルセロ・デル・ピラール(marcelo H. del pilar)は、1850年にブラカンで生まれ、サント・トーマス大学で法律を学び1879年に法学部を卒業します。 1882年、彼はホセ・リサールがスペイン語で呼びかけたのに対し、タカログ語の新聞「ディアリオン・タガログ」を発行し、愛国主義者や革新主義者の記事を掲載しました。 1888年、当時スペインの支配下にあったフィリピン国民の意識改革、地位向上、人間の尊厳への目覚め、自由の確立などの活動がスペイン人修道士や官憲の怒りを買い、スペインに向け脱出します。バルセロナでフィリピン人のプロパガンダ運動に加わり、フィリピンの改革を提唱する機関紙「ラ・ソリダリダッド(La solidaridad)」の編集者となり、1896年にバルセロナで肺結核のため亡くなります。
グラシアーノ・ロペス・ハエナ(Graciano lopez jaena)は、1856年にイロイロ州(Iloilo)ジャロ(Jaro)で生まれたジャーナリストでした。
彼は、ピラールと共にバルセロナでフィリピン人のプロパガンダ運動に加わり、フィリピンの改革を提唱する機関紙「ラ・ソリダリダッド(La solidaridad)」の編集者となり、1896年1月20日にマドリッドで結核のため亡くなります。