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フィリピンの歴史(History of the Philippines)

エミリオ・アギナルド(Emilio Aguinaldo)

初代 エミリオ・アギナルド(Emilio Aguinaldo)エミリオ・アギナルド(Emilio Aguinaldo)は、1897年11月2日〜1897年12月27日のビアクナバト共和国の大統領そして、1899年1月23日-1901年3月23日のマロロス共和国の大統領。現カビーテ州カウィットで、8人兄弟の7番目に生まれ、1895年に町長に任命されます。当時のフィリピンはスペインに植民地化されていて、重税と重労働で虐げられていました。

(Photograph by Jack Birns)


内容(Contents)

1892年にアンドレス・ボニファシオ(Andres Bonifacio)が中心となり秘密結社「カティプナン」が結成され1896年に武装決起します。アギナルドは、カティプナンの戦列に加わります。
1897年、カティプナンの内部抗争からアンドレス・ボニファシオは死罪となり、アギナルドが指導権を握ります。その後もアギナルドはスペイン軍と交戦を続け、同年11月、ブラカン州に総司令部を置き、「ビアクナバト共和国」を樹立し、大統領を名乗ります。同年スペインと和平協定(ビアクナバト協定)を結び、アギナルドをはじめカティプナンの主要メンバーは香港へ亡命します。
1898年2月、ハバナ湾で米艦隊がスペイン軍によって爆破された事をきっかけに米西戦争が勃発します。米国はフィリピンの独立に全面協力することを条件に、香港へ亡命していたアギナルドに米西戦争に協力しフィリピン上陸の案内をするよう要請し、アギナルドはこれを受け入れ、米艦隊とともにフィリピンに帰国し独立運動を再開します。
1898年6月12日に現カウィットの自宅で、フィリピンの独立を宣言した6月12日は現在、独立記念日とされていて、5ペソ紙幣の裏には、アギナルドが現カウィットの自宅で国旗を掲げている独立宣言の様子が描かれています。 同年8月13日、米軍とともにマニラにあったスペイン総督府を陥落させスペインとの戦闘を終結。9月15日にはカビーテ州マロロスで革命議会を開催し、翌1899年1月23日にはマロロス憲法を公布しフィリピン共和国(第一次共和国)を樹立、初代大統領に就任します。
1898年12月10日にアメリカとスペインの間に結ばれたパリ講和条約によって、スペインはアメリカにフィリピンの領有権を約2000万ドルで譲渡します。アメリカ大統領ウィリアム・マッキンリーは「フィリピン群諸島は合衆国の自由なる旗のもとに置かれなければならない」とする声明を発表しましたが、アギナルドをはじめフィリピン国民は激しく抗議し、アメリカ合衆国との間に米比戦争が勃発します。1900年には当時の首都マロロスが陥落し正規軍は解散し、ゲリラ戦を続けますが、翌1901年3月、イサベラ州パラナンでアギナルドは米軍に捕らえられアメリカの主権を認めざるを得なくなります。
その後もフィリピンの独立を裏から支え、1946年7月4日、第三次フィリピン共和国が成立しそのパレードにアギナルドはフィリピン国旗を高々と掲げるに至ります。写真は1949年10月(80才)に、独立国旗を掲げたバルコニーにて撮影。フィリピン共和国の独立に一生を捧げたアギナルドは1964年2月6日に亡くなります。